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17●宇宙船とカヌー


「私は宇宙の真理を数式で考え理解しようとするのだが、彼はまるで音楽家が作曲する様なやり方でカヤックを作ってしまうんだ」
 世界的な宇宙物理学者、フリーマン・ダイソン博士が息子ジョージ・ダイソンの事をこんな風に話してくれた」事がある。ちょっと照れながら話すこのフリーマンの言葉の中に、私は、若くして自分の下を飛び出し、自分とは全く違った道を歩むひとり息子に対する父親の愛と誇りのようなものを感じた。
 世間の常識からみると全くの"変人"としか言い様のないライフスタイルを選び、手作りのオーシャン・カヤックを作り続けてきたジョージの生き方は、結局父と同じある種の"天才"の別の現れ方なのだ、とつくづく思う。
 ジョージのカヤックはほんとうに"美しい"。私は86年に新しく完成したばかりのジョージの2人乗りカヤックでアラスカのトーチ湾からカナダブリティッシュコロンビアのハドソン島まで8000キロの沿岸水路の旅を撮影し、「宇宙船とカヌー」という作品にまとめた。ジョージのカヤックは展示してあるだけでも美術工芸品かと思う程に美しいが、何より実際に海を旅している時が最も美しい。
 この"美しい"という事には何か大きな秘密があるような気がする。ジョージは、フリーマンが言うように、流体力学的な計算からカヤックのデザインや構造を作っているのではない。音楽家が音楽を作曲する時と同じように"直感"と"ヒラメキ"あるいは"体感"からこの"美しい"カヤックを作っている。そのカヤックが実際に海を旅すると、どんなカヤックよりも"速く""快適"でしかも"安全"なのだ。無限に変化する沿岸の海の自然の中では、ある意味でエンジン付きの近代的ヨットよりも優れている、とさえいえる。
 "美しい"という事は、目には見えない"宇宙の真理"に即している、という事なのかもしれない。ジョージはこの"宇宙の真理"を計算ではなく、"直感""体感"で一気に把握してしまう。このやり方が音楽家に似ているのだ。ジョージはこのカヤックの構造・作り方を現実にはアリュートの人々のカヤックから学んできた。といっても誰かアリュート人が彼に教えたのではない。
 彼がその"天才"的直感からアリュートのカヤックに興味を覚える頃にはすでに、アリュート人の作り手はいなかった。「遅れた文化」という西洋近代の価値観の下で、アリュートのカヤック作りはすでに断絶していた。16才で父の下を飛び出した彼は、カナダの森の地上30メートルの大樹の上に自分の家をつくり、博物館にほんの少し残っていたアリュートのカヤックを観察し、自らの手で再現し、それに乗って海を旅し、その体験によって改良を加え、今のカヤックを作った。アリュートの人々が数千年にわたって海の自然に直接教えられて作り上げた超高度なデザイン思想を、ジョージは現代の素材、アルミニウムと宇宙開発から生まれた強力な布を使って甦らせたのだ。
 ジョージのカヤックに乗って海を旅すると、乗り手の"内なる自然"がどんどん鋭敏になってゆく。舳先が切る波の振動が直接肌に伝わり、匂ひ、風、音、凪の動き等々"外なる自然"に感応する能力が磨きすまされるのだ。"宇宙の真理"すなわち"美しさ"に対する鋭敏さが甦ると言ってもよい。
 こんなテクノロジーこそ、我々が21世紀に向かって必要としてる"超高度"なテクノロジーなのでないか、と思う。

ジオ(GEO) 1996.4月




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