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42●女神、サラスバティーの御縁


 2006年1月5日、厳寒の吉野山中に分け入り、天河大弁財天社の正月神事に参詣した。ラヴィ・シャンカールのロケでインドに出発する2日前のことであった。こんなあわただしい時に、わざわざ吉野の山奥まで足を運ぶことには、私なりにある強い想いがあった。ラヴィ・シャンカールの撮影に入る前に、どうしても弁財天の前で、自らの身を禊いでおきたかったのだ。天河大弁財天社ではこの日、探湯(くがたち)神事と呼ばれる禊の儀式が行われる。神獣に縁どられた大釜に聖水を満たし、吉方の山から切り出した木で火を起こし、煮えたぎる湯を塩と酒で清め、巫女が榊の葉でかきまぜて四方八方に振り撒き、その飛沫を浴びることによって身を浄めるのだ。私は17年前、『地球交響曲 第一番』の撮影を始めたばかりの頃、一度だけこの神事に参詣し撮影をした。巫女の激しい動きによって凍てついた大気の中に飛び散る飛沫はたちまち純白の霧と化し、折から差し込む朝の光を黄金の光芒に変え、いやが上にも荘厳な雰囲気を生み出してゆく。この幻想的なシーンは『第一番』のエンヤのパートでアイルランドの先住民ケルトのドルイド僧の儀式のイメージとして使っている。ちなみに、千年以上も昔、ドルイド僧はこれと全く同じ儀式を行っていたことが記録に遺されている。

  17年ぶりの正月の天河は雪に覆われて静かだった。夏には大賑いする民宿も全て閉じており、唯一受け入れてくれたペンションも、私と同行した11才の息子以外に客はなく、その静寂と孤独感が、禊に向う気持を一層引き締めてくれた。東京から天河神社に参詣するには丸2日間かかる。こんな忙しい時になぜ無理をしても弁財天の禊を受けようとするのか。それは、ラヴィ・シャンカールの守護神が、ヒンズー教の女神・サラスバティーであることを知ったからだった。サラスバティーは、全ての生命の源、地球を循環する水、すなわち河の女神であり、同時に、芸術とりわけ"音楽"の女神でもある。この女神が日本に伝わって弁財天になった。天河神社の御本尊天河大弁財天は、開祖、役(エン)の行者によってこの地に勧請された、と言い伝えられている。謎に満ちた開祖、役の行者は、その顔立ちからみて、多分インドから来日した聖者であろうと私は推測している。天河神社には祭のたびに人々によって唱えられる弁財天の御真言がある。「オンソラソバテイエイソワカ」という。その意味も謂れも全く知らず何百年にもわたって人々に唱えられ続けて来たこの御真言が、実は、ヒンズー教の女神・サラスバティーのマントラ、「オーム・サラスバティー・ソワカ」が訛ったものなのだ。この事を日本人のほとんどは知らないし、ラヴィ・シャンカールももちろん全く知らない。

  17年前の『地球交響曲』撮影開始以来、明確な意識もないままに、ただ強く魅かれて、大切にしてきた天河大弁財天社との御縁が、こんなところで結ばれていた。探湯神事の禊を受けながら、これから起こってくるであろう全ての困難を受け入れる覚悟を新たにした。
 

デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2006年8月号


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