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●「地球交響曲」を共に奏でる仲間たち

原 將人さん(映画監督)


「ガイアシンフォニー第五番」を見て泣いた。
  出産の場面。妹の産まれてくるのに立ち会った9歳の兄の目から涙が止め処もなく溢れ、こぼれ落ちるのを見て、こちらも泣いてしまった。
  彼は悲しくて泣いた訳ではない。うれしくて泣いた訳ではない。ただ純粋に感動して泣いていた。おそらく彼は泣いていたのではない。ただ感動していただけで、涙はその感動に付随していただけなのだろう。拭いもせず、産まれたばかりの妹をじっと見つめていた。
  いのちの誕生に立ち会った感動である。おそらく自分の誕生を重ね合わせ、自分が地球に、この宇宙に生を享けたことに感動していた。いま生きていることに対する感動。これまで出産の場面を収めた作品は数多くある。しかし、出産に立ち会った兄弟の純粋な感動を捉えたのは初めてではないか。
  と言うよりも、とにかく純粋な感動を切り取った映画史上稀に見る作品ではないかと思う。映画は人生に於ける機微を起承転結のなかで理由付け、説明付けて、感動を提示する。その為、劇映画はシナリオが重視されるし、ドキュメンタリーだって例外ではない。だから、映画を職業とし、映画の中の作り手たちの作為を読み取ることにたけている私は、ちょっとあざといけどうまいと思ったり、そのうまさにほろっとさせられることはあっても、泣くことなんかは絶対にない。その私が泣いてしまった。映画を見て涙を流したことは久しくない。思い起こせば、子供のときディズニーの「黄色い老犬」を見て以来か。
  その出産の場面。出産したのはこの映画のプロデューサーである龍村ゆかりさん。兄は長男の景一くん。夫の龍村仁監督も立ち会っている姿が写しだされている。そう言うと私的ドキュメンタリーの一場面みたいだが、景一くんの純粋な感動の涙がそうしたジャンル分けを無効なものとし、「ガイアシンフォニー第五番」を純粋な感動を捉えた作品として映画史上屹立させている。龍村仁も私的ドキュメンタリーの領域に踏み込んだなどと言う奴がいたらそいつはアホだ。
  見終えたから、私自身何故泣いたのか考えてみた。私も彼の感動に同化したからだろう。その時私も9歳の男の子になっていた。9歳の自分。まだ性の知識も出産のメカニズムも知らなかった。おそらく彼の両親は、基本的な知識は教えられていたと思う。また教えてなかったにしろ、新しいいのちの誕生を家族で迎える愛と絆があったのだと思う。そのことにも感動した。
  純粋な感動が映画史上初めて写し出された「ガイアシンフォニー第五番」は、景一くんの純粋な感動を核に、「性と誕生と死。そしてすべての存在はつながっている」というテーマと映像がすべて統合された幸せな映画になっている。
(2004年8月)

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