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▼第三番出演者


星野道夫(故人)
写真家、エッセイスト
撮影
1996年9月7日〜11日 アラスカ・フェアバンクスで星野道夫メモリアルに参加
     9月20日〜10月7日 アラスカ、カナダ・クイーンシャーロット島 
1997年3月27日〜4月10日 アラスカ各地

1952年、日本生まれ。
1996年9月に共にアラスカの大自然を旅しようと計画していた星野道夫が、8月8日、ロシアのカムチャッカで、ブラウン・ベアに襲われてなくなった。(日本のテレビ番組のための撮影中のことだった。)アラスカに移り住んで20年、マイナス40度の氷河地帯にたったひとりで一ヶ月半もキャンプを張り、天空の音楽、“オーロラ”の写 真を撮り、何万年もの間この極北の地で続けられている、鯨、狼、熊、カリブーなど動物たちの営みを撮り続けてきた彼の写 真はすでに世界的に高い評価を受けていた。彼の眼差しの中に、個体の死を越え、種の違いを越えて連綿と続く、大いなる命、悠久の命への畏怖と愛があったからだ。その彼の眼差しが最近はこの極北の地に生き続ける人々に注がれるようになっていた。ネイティブの古老達が語り伝える神話の中には、人間が宇宙的スケールで動いている大自然の営みと調和して生きてゆくための様々な叡智が秘められている。
その事に気づいた星野は、20世紀末の技術文明の中に生きる私達が、そこから何を学び、未来の世代に何を伝えてゆくべきかを探す旅を始めていた。
「アラスカが今後どうなってゆくかは、20世紀末に残された人類の最後の期末試験のような気がする」というのが星野の口癖だった。星野の“死”はこの旅を不可能にするかに見えた。しかし、そうではなかった。9月末に敢行したアラスカの“旅”で、私達は出会う全ての人々の中に鮮烈に生き続けている星野の“魂”に出会った。
彼の“死”をネガティブに受け止めている人は誰もいなかった。いやむしろ、“死”を通 して彼は、生き続けている私達が、今何に気づき、未来の世代に何を伝えてゆくべきかを、さらに明確にわかりやすく示してくれたのだ。
この旅は、しばらく続くだろう。

著作・写真集:
「グリズリー」(平凡社)、「アラスカ 極北・生命の地図」(朝日新聞社)、
「Alaska 風のような物語」(小学館)、「イニュニック」(新潮社)、「アークティック・オデッセイ」(新潮社)、「アラスカ・光と風」(福音館書店)、「旅をする木」(文藝春秋)、「ナヌークの贈りもの」(小学館)、「森と氷河と鯨」(世界文化社)、「ノーザンライツ」(新潮社)、「表現者」(スイッチ)

フリーマン・ダイソン
元プリンストン高等学術研究所教授。宇宙物理学者
撮影 1996年8月15日〜29日 アメリカ・ベーリンハム、カナダ・ハンソン島

1923年イギリス生まれ。アメリカ・プリンストン在住。
弱冠24歳の時、相対性理論と量子力学を統合する数式(ダイソン方程式)を発見し、今世紀最大の理論物理学者としての名声を不動のものにした。アインシュタイン、オッペンハイマーから招かれ、若くしてプリンストン高等学術研究所の物理学教授となったフリーマンは、科学はもちろんのこと、芸術、宗教、哲学等、あらゆる分野に深い造詣を持ち、“人”という種の未来について、生命の未来について、宇宙的な視野から語ることの出来る今世紀最大の叡智と言っても過言ではない。
その一人息子、ジョージ・ダイソンは、アラスカの古代海洋民族アリュート族のカヤック(カヌー)を20世紀に復元した。今や世界的に有名なオーシャン・カヤック・ビルダー。
16歳の時、父のもとを飛び出し、アラスカ、カナダの海岸に渡り住んで、自然の中で生活していた。
今回の撮影は、カナダ・ブリティッシュ・コロンビアの大自然の中にある小さな島、ハンソン島で行われた。このハンソン島は、21年前、フリーマンが家を出ていたジョージと劇的な再会を果 たした思い出の島。当時、ハンソン島で野生オルカ(シャチ)の研究をしていたポール・スポング博士のもとで、その仕事を手伝っていた息子ジョージとの和解を図るため、フリーマンは東海岸のプリンストンから五千キロの旅をしてこの島にやって来たのだ。
思い出のハンソン島で、鬱蒼とした古代からの森に囲まれ、毎日やって来るオルカの神秘的な声を聞きながら、フリーマンは「人間の心は進化するか」「人はなぜ死ななければならないのか」といった根元的な問いに、科学、宗教、哲学に関する深い造詣にもとづいてわかりやすく答えてくれる。

著作:
「多様化世界」(みすず書房)、「宇宙をかき乱すべきか」(ダイヤモンド社)
参考資料:
ケネス・ブラウワー著「宇宙船とカヌー」(ちくま文庫)
テレビ番組「サイエンス・ファンタジー 宇宙船とカヌー」

ナイノア・トンプソン
ハワイ先住民族、カヌー航海者
撮影 1997年2月15日〜3月1日 ハワイ・オアフ島、ハワイ島

1953年、ハワイ生まれ、ハワイ在住。
20世紀末の今、世界各地で従来の歴史観を覆すような考古学的発見が相次いでいる。例えば青森県三内丸山の縄文遺跡の発見は、五千年以上前に我々の祖先がどれほど高度な文明を持っていたかをはっきりと示した。さらにここで発掘された土器とルーツを同じくする土器が、ポリネシアの小さな島でも発見されている。五千年前にすでに人々は、太平洋を航海する術を知っていた可能性があるのだ。
1980年ナイノア・トンプソンは、海図、羅針盤、磁石などの一切の近代器具を使わず、伝統に基づいて復元された古代の遠洋航海カヌーを駆って、星を読み、波や風を感じ、海の自然が与えてくれるサイン(情報)だけを使って、ハワイからタヒチまで五千キロの海の旅を成しとげた。
この旅を通してナイノアは、数千年前に南太平洋のポリネシア諸島からハワイにやって来た祖先たちが、すでにこんなにも高度な技術的、精神的文明を持っていたことを証明すると共に、20世紀に生きる私達の中にも祖先と同じ能力が眠っていて、それを蘇らせることが出来ることを示したのだ。この彼の航海は、ハワイの先住民の人々に、大きな勇気と誇りを与え、自然の営みと調和しながら生きてきた祖先の高度な文明のあり方を学びなおそうとする運動が、次々に自然発生的に起こって来ている。
この彼の営みは単なる懐古趣味ではない。自然との調和を失っている私達の技術文明の方向を正しい方向に修正してゆくためには、21世紀を生きる人々が、自分達の内側の自然と調和する能力を高める必要があるのだ。そのためナイノアは今、古代からの知恵を次世代の子供達に伝える教育プロジェクトに一番力をそそいでいる。
はるか彼方「見えない島を、見る力」を養うことこそ、21世紀を生きる子供達にとって必要なことだとナイノアは信じている。

参考資料:
“An Ocean Mind” Will Kyselka(University of Hawaii)
“Voyage of Rediscovery” Ben Finney(University of Hawaii)
「ハワイイ紀行」(池澤夏樹 新潮社)




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