Index
HOME 龍村仁ライブラリー エッセイ
著書  | お薦め vol.1  | お薦め vol.2 エッセイ  

09●エレナの「眼」が語るもの









子ゾウとキス

ガイアシンフォニー制作中。
ダフニー氏のところで。


 

エレナとの最初の出会いは、「眼」だった。テレビ画面にほんの一瞬クローズアップされた彼女の「眼」を見た時、私は今までに出会ったどんなヒトの眼とも異なるそこ知れぬやさしさのようなものをその「眼」に感じた。どうしてもエレナに会いたいと思った。
 彼女は体長3メートルを越える巨大なアフリカ象だった。ムツゴロウさんのテレビ番組でほんの数分間紹介されたのだ。
 エレナは、密猟者に親を殺された小象を育て、野生に還す活動をしているダフニー・シェルドリックが、30数年前に初めて育てるのに成功した雌の象だ。今はダフニーのもとを離れ、野生の中に戻っているが、いまだにダフニーとの関係を絶たず、3歳以上に育った小象を預かり、母親替わりをしながら野生に還す手伝いをしている。
 人間とアフリカ象の間にもそんな関係が成立していること自体大変な驚きだけれども、私にとってもっと強烈だったのは彼女の「眼」だった。その「眼」は人間に何かを教えようとしている。それが何であるかを知りたくて、彼女に会うためにアフリカのケニアに渡った。
 2歳の時からエレナを育てたダフニーが様々な話をしてくれた。
 エレナが順調に成長し、野生に還る準備も整ったちょうど頃、1歳足らずの赤ちゃん象がダフニーのもとに送られて来た。目の前で母を殺されたその赤ちゃんは心に深い傷を負って生きる気力を失っていた。象の赤ちゃんは大変デリケートで育てるのが本当に難しく、ダフニーも何度も失敗していた。ミルクを調合することより、生きる気力を回復させてやることの方が難しかった。
 自分の手でミルクをつくることのできないエレナは、ダフニーがミルクを飲ませている間、自分の腹の下に赤ちゃんを置き、鼻で赤ちゃんを撫でてやる。すると、赤ちゃんは自分の鼻で「母の」肌に触れることで安心してミルクを飲むのである。エレナはその赤ちゃんが生きる気力を回復する手伝いをしたのだ。こうして、ダフニーとエレナの共同の子育てがうまくいくようになった。
 それ以来、エレナはたくさんの孤児たちの母となった。象の赤ちゃんだけでなく、サイやシカなど、ダフニーのもとに送られてくる全ての孤児たちの母となった。森の中で親を殺されて死にかけている小象を見つけて孤児院まで連れて帰って来ることも何度もあった。
 ダフニーの孤児院と野生の象たちが住むサバンナとの間にはなんの境界線もなかったから、昼間、エレナは自由にサバンナに出て野生の仲間たちと交流できた。エレナが育てた孤児たちは思春期になると、自然に野生の中に還っていった。しかし、エレナだけはダフニーとの関係を保ち続けた。あまりにも次々と孤児たちが送られ続けたからだった。
 不思議な話を聞いた。エレナが18歳の頃、生まれて初めて仲間の死体を見た時、その死体から象牙だけをとりはずして砕こうとしたという。それまで一度も経験がなかったはずなのに、エレナは象牙がもたらす悲劇の意味を知っていたのだ。「エレナは全てを知っている。それでも人間を愛してくれているんです」とダフニーは言った。
 そして、エレナは今36歳になった。動物孤児院もツアボから首都ナイロビに移転したが、その絆は今も保たれ、授乳期を終えた小象たちが毎年エレナのもとに送られている。私もダフニーに連れられて、ナイロビ郊外から400キロ離れたツアボに向かった。
 「エレナ!エレナ」広大なサバンナの真ん中でダフニーが呼んだ。その声は風に乗ってはるかかなたのブッシュの中に消えていった。エレナはダフニーが来ることを必ず前もって知っているという。10分程経っただろうか。ブッシュの陰から巨大な象が姿を現わした。ダフニーは久し振りに娘に会う母のように歩を速めた。私も数メートル離れて後を追った。エレナはその長い鼻でダフニーを抱き、初老の母をいたわるように背中を撫でた。感動的な母と娘の再会のシーンだった。
 ダフニーを抱きながらエレナがこっちを見ている。あの「眼」だった。私は「あなたに会えて本当に嬉しい」と心で伝えた。すると、エレナはダフニーを抱いていた鼻をほどいてゆっくり私の方に近づいて来た。私は彼女が象であることをすっかり忘れていた。恐怖心などは全くなかった。エレナの鼻は暖かく、固い毛が少し痛かったけれど、涙が出る程やさしかった。
 このエレナとダフニーの再会の物語が、昨年完成させた映画「地球交響曲」の重要な一章となった。


「TVぴあ」92年1月7日号




Back

Copyright Jin Tatsumura Office 2005