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37●「カーツ」って誰?


 私がアラスカのグレイシャー湾から、カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるハンソン島まで800キロのカヌーによる海の旅を敢行したのは、1986年のことであった。アラスカ、カナダの沿岸水路には、カヌーでしか到達できない入江や小島がたくさんある。そのなかに、単位面積あたりの熊の棲息数が、世界一だと言われているアドミラリティー島がある。この島こそ、故・星野道夫(「地球交響曲第三番」出演者)が1994年に、カヌーのひとり旅で立ち寄り、後の彼の運命を予感させるような文章「熊の道をたずねて」を書いた島であり、クリンキットインディアンの「熊の神話」が生まれた島でもある。
  この島の森で一夜を明かした星野は、"熊と人間の境界が薄れてゆき、自分が熊の目で世界を見ている"ような不思議な幻覚にとらわれた体験を書いている。その後、アラスカの港町、ケチカンで熊の一族の長老と出会った星野は、会った瞬間に「あなたは熊の一族にとってとても重要な人物である」と宣告され、ある儀式を経て、「熊の神話」上の重要人物「カーツ」の名を与えられたのだ。
  それから間もなく、1996年8月8日深夜、星野はロシアのカムチャッカで、今生の生命を熊に捧げてこの世を去ったのだった。それは、私が「地球交響曲第三番」の「星野道夫」篇の撮影を開始するわずか1週間前のことであった。
  かく言う私も、1986年のカヌーの旅で、このアドミラリティー島に立ち寄っている。日本人でこの島に上陸したことのある人は多分ほとんどいないだろう。その頃の私は、まだ星野道夫のことも、「熊の神話」のことも全く知らなかった。
  しかし、上陸したとたんに熊の一族の先祖の村でまるで異次元の世界に連れ去られるような不思議な幻覚にとらえられ、その事を当時制作した映像作品「宇宙船とカヌー」の中で描いていた。それから10年を経た1996年、「地球交響曲第三番」の撮影開始直前に、星野はこの世を去ったのだ。
  その追悼の旅(「第三番」のロケ)で私も、星野に「カーツ」という神話上の名を授けた熊の一族の長老エスター・シェイに会った。エスターは私にこんな話をした。
「私達、熊の一族の中には、私達の先祖が、はるか昔、西の国からカヌーで海を渡ってアドミラリティー島にやって来た、という言い伝えがあります。私はそれが今の日本からではないか、と思っているのです」。
  そう話すエスターは、頭に熊の一族の長老の証である、熊の顔の木彫がついたヘアバンドをつけていた。そしてその手には、同じヘアバンドをつけたアイヌ民族の長老の写真が掲載されたアメリカの雑誌を持っていた。
  このインタビューの後、私も星野と同じ儀式を受けるよう求められ、その儀式の後、「フーツ」という神話上の名を授けられたのだ。
  このような数々の不思議な符号は、果たして単なる"偶然の一致"なのだろうか。少なくとも私は、"彼らの先祖が日本から来た"という話は、あり得ることだと思っている。その意味で、「自分のルーツを探す」星野道夫の旅は、今も続いているような気がする。
 

デジタルTVガイド・連載『地球のかけら』 2006年3月号


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